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March 29, 2005

にゃんこ写真

重いテーマの後なので、うちのにゃんこ写真です。デブですが・・・でも美人です(親ばか)。

投稿者 kiyo : 12:00 AM | コメント (0) | トラックバック

March 28, 2005

文字と映像の違い

ちょっと重い内容です。

ちまちまと、時間を見つけながら動物問題を調べていますが、非常にパワーの必要な問題の為、少しずつの作業です。

今日もどのようなサイトがあるのかを調べていた所、また残酷すぎる現実を知りました。

文字と映像の違いを実感します。

こちらのAnimal Rights CenterJapanのサイトから、動物から毛皮を取るまでの詳細が書かれていました。

以前ざっと毛皮問題を調べた時は、動物達は「野生の動物が罠で捕まえられる」「毛皮用に養殖される」という事はわかりました。殺し方も「毛皮を傷めないように電気を流され殺される」という事はわかりました。飼育環境の酷さもわかりました。

でも、生きたまま皮をはがされる事があるなんて、考えもしませんでした。

このアニマルライツセンターでは、見るのにかなりの勇気が居る映像があります。「またうなされる・・・」と、見るのを辞めようと思いましたが「かなり残酷なシーンがありますが、見て毛皮衣料の実態を知ってください」とあったので、見ました。

狸の目をよく映していました。まだ生きている時の目と、皮を剥がされた後でもまだ生きている目。訴えかけるようです。

「見て知ってください」という訴えの意味が良くわかりました。

文章で「生きたまま皮をはがされる」と読んでも、涙は出ません。平常心でいられます。
でも映像を見ると、動悸がして涙が出ます。

「Dear, こげんた」の本にも、署名活動に協力した方の話で、「『怖くて見れない』と嫌がる人にも『写真を見て。見れないなら署名もしないで。この子は怖くて見れないような事をされたの』と写真を見せて署名を集めた」という文章がありました。

私もあの写真を見なかったら動物問題にそれほどの疑問や憤慨を感じなかったかもしれません。

今回も、つい最近毛皮問題を調べて「自分の持っている毛皮製品は使わない」と心に決めたばかりなのに、「既に持っているものなら少しくらいいいか」という気分になってしまっていました。

映像の力は大きいです。というよりも、真実は文字だけでは想像しにくい。文字の何百倍も重いです。もっと、たとえ残酷であっても、真実をそのまま伝えるメディアが増えてくれれば、気付く人が多くなるだろうと思います。

怖いと思って見ない人に強制は出来ません。でも、私はもっと早く知っておけばあれも買わなかった、これも買わなかった、と後悔しているので、出来れば多くの人に見ていただきたいです。

よく「相手の立場に立って考えなさい」と言います。仕事でもプライベートでも。これは礼儀とされています。

同じ様に、動物に対しても「相手の立場に立って考える」が必要だと心底思います。

もし、自分の愛するペットが同じ様な目にあったら・・・と思うと、想像するだけで気が狂いそうになる方は多いと思います。それを、他の動物達に当てはめる。とても簡単なことです。

投稿者 kiyo : 12:45 AM | コメント (0) | トラックバック

March 24, 2005

クリオネ大洗で保護される

「ANIMALS」では無いですが、同じ生物ということで・・・

今日のニュースで、クリオネが茨城県の大洗で発見され、水族館に保護されたとありました。

産経WEB

クリオネは流氷の妖精と呼ばれる巻貝の一種です。オホーツクに流氷と共にやってきます。茨城県にいるなんてかなり驚くニュースなのです。実は私の家にはクリオネがいます。動物愛護サイトを立ち上げた人間としては多少の矛盾もあり、やや言いにくいのですが・・・

このニュースを見て、多くの人は「せっかく海に居たのに捕まえるなんて可哀想」と思われる方も居るのでは・・・と少し思ったので、素人クリオネ博士としての意見を書いてみようと思います。

クリオネは餌を一種類しか食べない生物です。そしてその餌のミジンウキマイマイ(これも巻貝の一種)は、クリオネのパッチ(群れではなく、水流によってクリオネが集まってしまうのでそのかたまりの事)と一緒に生息します。また、クリオネは水温が低い所でしか生息できません。この季節に北海道に流氷と共にやって来て、流氷と共に去っていきます。

以上の事から、大洗で発見されたクリオネは、オホーツクから流されてきたものと思われ(過去にも何度か大洗で発見された事があるそうです)、もう二度と流氷と共に帰れません。また、餌にもありつけないと思われます。そして、これから水温が上昇すると共に、体力を消耗して死んでしまいます。鮭の餌になったり、イソギンチャクの餌になったりします。

いずれ死んでしまう運命にあったクリオネ。だったら、せめて水族館が引き取って、多くの人にクリオネの生態を教える。こんな小さいプランクトンでも、懸命に生きているという事を人間に伝える、という役目を負うことになっても、許されると思うのです。食物連鎖を考えると、「少数だし」という思いは危険だとも思いますが。もしかしたら水族館で餌をくれるかもしれないですし。

こうやって、生態を知ると、見方が変わります。この見方が必ずしも良いとは言えませんが。

うちのクリオネに関しては、去年の6月に、北海道に残っていたクリオネがひょんな事から大量にうちに来ました。「近々死んでしまう環境にいて、たまたま漁師さんに引き上げられたので、せめて子供や人様のお役に立てるような、水族館や学校や施設などで人々に生命の大切さを教える事に役立てて欲しい。可愛がってくれる人にお分けして下さい」という送り主のご要望で、幼稚園や小学校、水族館にお分けしました。

残りをうちで面倒見ています。

数人から、小さくても命を大切にしなければいけないと改めて感じたという声を聞きました。これが身近な動物への思いやりにも繋がると思ってます。

でも、この季節に、うちのクリオネも北海道に戻してあげるべきだったかもしれない・・・と思いつつ、北海道に行かなかったのは私のエゴです。せめて餌を手に入れて食べさせてあげる事が、私に出来る最大の事だと思ってます。

ちょっと懺悔日記でした。

投稿者 kiyo : 10:45 PM | コメント (0) | トラックバック

March 21, 2005

尊厳-Dignity

渋谷文化村で今日まで開催された「地球を生きる子どもたち」を見てきました。動物問題ではないのですが、テーマ別に展示された世界の子供達の写真を見て、そのテーマのひとつ「尊厳」について、ちょっと考えました。

ちなみに私は尊厳とは「尊くおごそかで侵しがたいこと」と理解しています。

尊厳とはとても大切な事だと思っています。人間が生きる上で一番大切なのは尊厳だと以前は思っていました。でも、以前映画「戦場のピアニスト」を見てからは、極限の生命の危機に瀕したら、人間は尊厳よりも「生命の維持」の方が大切になるのかもしれない、とは感じましたが。

尊厳とは、人間にだけ当てはめられる言葉のように感じます。でもこれって動物にも当てはめる事が大切なのでは、と思いました。

人間でも尊厳が守られない人も大勢居ます。でもそれは他の人々の心を痛め、みんなの尊厳を守らねば、と思い、行動に移させるのだと思います。自分と同じ人間が、尊厳を損なわれている姿はとても見ていられない、と感じるのが一般的だと思うので。

一方、動物に対しては「可哀想」等の想いはあっても「彼らの尊厳を守らねば」という考え方は少ないような気がします。

人間も動物も同じ生物。動物にも尊厳があると思えば、一人一人が動物に接する気持ちも変るのでは、と、今日の写真展で感じました。

投稿者 kiyo : 10:53 PM | コメント (0) | トラックバック

スプートニク2号とクドリャフカ

この話も今日知りました。

1957年に旧ソ連は史上初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げました。僅か1ヶ月後の11月に、再び人工衛星「スプートニク2号」を打ち上げた。その中には犬が入っていたそうです。

「ライカ犬」と呼ばれていたそうですが、シベリアンハスキーの雑種、メス、元々野良犬だったらしいです。「生きて回収する事」はミッションに入っていなかったと・・・

この犬を「クドリャフカ」と呼び、これも多くの方が何かを感じていらっしゃるようです。このフラッシュを見たら、私も「・・・」と言葉が出ませんでした。

クドリャフカ 作者:凡様

1957年。私が産まれるずーと前の話です。昔の話だから問題視する事ではない、という意見もあるかと思いますし、私も一瞬そう思いました。今現在行われていることではない。

ただ、何十年たっても、目的は違っても、規模は違っても、未だに人間の研究の為に動物が使われているという事は事実です。

全ての動物実験類を禁止、とは、今の私達の便利な生活はその犠牲になった動物達と、研究員の方の努力の上に成り立っているので、言えません。でも、代替研究は今の技術なら出来るだろう、と素人考えですが思うのです。その方向で研究を進めていけば、動物の命を犠牲にしなくても開発が進んでいくのでは。と、何となく感じるだけなのですが。

例えば、生きている人間を人体実験はしません。献体というシステムがあります。希望した方だけ、死後に身体を大学病院などの研究に提供する、という。

犬猫にも献体のシステムがあれば、と少し思います。最も、生きている動物に対する実験が必要なのだと思うのですが、出来る限り、人間と同じように生きている生命を扱う実験はやめた方が。

献体された身体だけを実験、研究対象として、生きているものには手を出さない、というのが理想だと思いますが、動物実験の現状をまだ知らないのでなんとも言えません。

いずれにしても、このクドリャフカは、こんな目にあった意味があったのでしょうか。クドリャフカが人工衛星に乗ったことで、人間は何を得たのでしょうか。いや、意味はあったのですよね。その後に人間が宇宙に旅立ったわけですから。でもクドリャフカの件が直接その後の宇宙開発の功績になったのかどうか・・・

・・・これも宇宙開発問題に詳しくないのでまだなんとも意見できませんが。ああ、自分の知識不足がもどかしい・・・

でも、これ以上はもういいじゃないですか。今のままで十分でしょお。と思います。

投稿者 kiyo : 01:23 AM | コメント (0) | トラックバック

March 19, 2005

ボランティアの精神

以前知人から聞いた事です。

ボランティア、慈善事業に関心がある場合、一番簡単なのは「お金を提供する事」。

次が「時間を提供する事」。

その次の一番難しいのが「お金、時間を費やし、生活の一部にすること」。

確かにそうだなーと感じます。

今私は、月に5000円だけ寄付をしています。フォスタープラン、国境なき医師団、最近始めたのがWWF(財団法人世界自然保護基金)。

動物愛護に感心が出て、そちら方面にも小額ですが寄付を、と思っていますが、今いろいろと調べている最中です。

今はまだ小額の寄付に留まっていますが、いずれは時間も費やす事はしたいと思います。でも、「お金、時間を費やし、生活の一部にすること」は、難しいだろうなあ、と思います。出来ればしたいですが。

マザーテレサはやっぱり凄い。と思います。

友人が手伝っている団体で、クメール伝統織物研究所という所があります。カンボジアで伝統織物の復興を目指し、工場を作り現地の人を雇うことで、現地の方々の生活を支援していらっしゃるのです。

動物問題ではないのですが、ボランティアの精神と言う意味では素晴らしい活動です。現実的に取り組んでいらっしゃる。

私の親友が「人間にとって一番の幸せは、人のために何かする事に喜びを感じること」と言っていたのですが、自分に何が出来るか、なかなか難しいなあ、と思います。

宝くじが当たったら地方に土地を買って、行き場のない犬猫を引き取り、里親さんを探す。里親さんが見つからない子はそのまま世話をする、という施設を作りたい!と思いますが、現実的に考えねば。

実際に活動している方は凄い!とつくづく思います。

投稿者 kiyo : 11:31 PM | コメント (0) | トラックバック

動物愛護を考えるのは少数派なのでしょうか?

最近、このサイトを立ち上げた事でいろいろと人の意見を聞くのですが、その中で「少数派」という言葉を聞きました。

動物問題では無い話から出たのですが。

その方は、仕事がらみで10年前に起きた阪神淡路大震災の救助に携わった方に、この10年で何が変ったか、どれだけあの時の教訓が今に生かされているか、などと言う講演を依頼し、その講演会を企画されたそうです。

新潟の震災、スマトラ沖津波などの自然災害がどれだけ人の生活を破壊してしまうか、これだけニュースになっている問題だからこそ、かなりの出席者がいるだろうと予想されていたそうです。私も行きたかったのですが、仕事でいけませんでした。

ところが、実際の出席者は予想に反して少なかったそうです。それで主催者側の彼女達は、リサーチの結果、結局は大多数の人が自分の事で精一杯。よその国の戦争や内乱、自分の国の災害や社会問題であっても、「自分は関係ない」と思っている人が思った以上に多い。と気付いたそうです。「今回の件、私達の考え方は少数派だった」と。

実際にこうやってサイトなどを見ると、色々な分野で物事を良くしようと努力している方は大勢いらっしゃいます。テレビや雑誌や新聞、いろいろなメディアで様々な分野で活躍し、努力し、身を粉にして世の為人の為に活動している方は沢山居る事を知る事が出来ます。

でも、それって、日本国民の中で考えたらほんの、とても少ない数%なのかも、とその時に思いました。

イラク戦争の際にも「ニュースで見ても新聞で見ても、やっぱり自分とは関係の無いよその国の出来事なんだよね」という意見を多数聞きました。そういう私も、「よその国の事」とは思えなかったものの、大した事は出来ませんでしたけど。募金と反戦署名のみ。

実際に行動に移す人は少数派と言うのはわかります。そこまでの方はなかなかいらっしゃらないので。でも、こういう、「気付いた物事を良くして行く」という考え方自体が少数派というのは、ちょっと悲しいと感じました。

「もっと自分の事やったら?」「そこまで考えちゃうの?」とか言われると、やはり自信がなくなります。自分では「子供や動物。罪の無い、力の無い者は、大人が守らなければいけない」と言う考えは正しいと思うのですが、特に人間の欲の為に他の生命を殺す事は絶対に少なくしなければ、と思うのですが、「何もそこまで」と言う言葉を多く聞くと、「そういうものなの?」と少し思ってしまいます。

少数派なのでしょうか。でも、気付いた人が、自分が納得できるように行動するのは大切なことなのでは、と思うのですが・・・まだ何も行動していないのですが。

もっと勉強して自分の考えに確固とした自信を持てるようになりたいです。

投稿者 kiyo : 01:04 AM | コメント (0) | トラックバック

March 16, 2005

ペットはお金もかかります

うちの猫です。

ペットブームと言われている世の中ですが、私は来月と再来月に10歳になる猫を2匹飼っています。
飼い始めた時と、今の、ペットに対する認識は全く違います。

正直言うと、飼い始めた時はねこの本を一冊読んだ程度の知識で十分だと思っていました。

でも、今、現実問題として、うちの猫達にはお金が月に3万ちょっとかかっています。

と言うのは、オスの「ぽよんちょ」が、2年半前に猫伝染性腹膜炎が発症し、激しい痙攣発作が続く闘病生活を送り、それ以来薬をずっと服用しているのです。薬代だけで月に約3万かかります。ぷらす餌&猫砂代。病気をしたときは最初の一月に10万以上かかりました。容態にもよると思うのですが、うちのこの場合は治療費、わんにゃんタクシー代、発作で失禁をするのでペットシートや消臭剤、その他もろもろ・・・

犬よりはかからないのかもしれません。でも、病気になったときに、という事も、出来ればペットを飼う方には考えて欲しい。

私は当然の如く、10年前はそこまで考えずに飼い始めました。だからぺット保険なども存在すら知りませんでした。その当時あったのかどうかさだかではありませんが・・・

もしぽよんちょが病気にならなかったら、年に一度の健康診断と予防注射だけで済む健康な猫だったら、私はこのサイトは立ち上げていなかったと思います。

お金だけでは無く、時間も費やします。神経もすり減らします。守るべき存在が苦しんでいるのに何も出来ない事で、寿命が縮む思いをします。

幸い、うちには両親も姉も、姉夫婦も近所に居たので、ぽよが闘病生活を送っている時は誰かしらそばに居る事が出来ました。発作が起きたらすぐに薬を飲ませなければいけなかったので。

そして、私も働いていますので今でも薬代も出す事が出来ます。この子の薬代は何があっても、例え私がクビになっても、最優先でキープするつもりです。薬を切らしたらまた発作が起きてしまうかもしれないのです。

出来る事なら、何かがあったときに対応できる環境で、育てて欲しいと思うのです。

そうでないと、飼い主の精神的負担になってしまう事もありえます。時間の問題、お金の問題・・・それが、処分問題に繋がらないとは言い切れません。そうなった場合一生自分を責める事になると思うのです。大きなお世話なんですけど・・・

完璧な環境はありえませんが、心の準備も必要だと思います。ペットは可愛いぬいぐるみではなく、生きている生物なのですから。

投稿者 kiyo : 11:39 PM | コメント (0) | トラックバック

March 15, 2005

べっ甲もそうだった。

昨日の続きです。幅広くなってしまいましたが・・・

昨夜の夜、TBSの「世界遺産」を何気なく見ていて感じたこと。今まで私は「べっ甲細工」と聞いても、「亀の甲羅」とは知っていましたが、それが「人間の装飾の為に亀が殺される」という発想には全く繋がりませんでした。「当たり前のように身の回りにあるもの」という感覚でした。今考えると恐ろしいです。

が、このべっ甲問題は今はそれほど大問題では無いそうな。

世界遺産では、「ベリーズのバリアリーフ保護区」というタイトルで、数少ない保護区であるバリアリーフに住む海の生物を移していました。とにかく映像が綺麗で、ゆったり泳ぐウミガメやジンベイザメ、マナティ・・・その一方、ほとんどの生物は絶滅の危機にあるとのこと。

マナティは浅瀬に生息する海草を食べるため、海水汚染の影響を受けやすく、また、人間に捕獲されやすく絶滅に近くなっているそうです。

ウミガメの「タイマイ」も、かつて食用として、またべっ甲細工の材料として乱獲され、数が激減したそうです。長寿のシンボルであるウミガメも、天寿を全うするのは非常に少ないそうです。事故にあったり、人間に捕獲されたり・・・

今ではワシントン条約でタイマイは国際取引はされていないそうです。もちろん日本でも。ちょっと調べたところ、良心的なべっ甲細工の装飾品を扱うサイトでは、「べっ甲の材料となるタイマイはワシントン条約によって一切輸入できません。既にある国内在庫については問題ないので、弊社では国内在庫を使っています」と注意書きがあったりしました。

ちなみに日本では、タイマイの取引中止は留保されていたそうですが、94年7月に留保撤回となったそうです。(外務省HPより)

ただ、国際規定があるとは言え、密漁は絶えないとの事。詳細はWWFジャパンHP参照。

また、べっ甲を扱う業者さん達は、タイマイをまた材料として使いたい為に絶滅を防ぐ研究や活動、養殖の研究などもしているそうです。絶滅を防いでワシントン条約保護動物から外してもらえるように・・・とか。

・・・仕方の無い事とは思うのです。べっ甲も、毛皮も、もしかしたら三味線やワニ革、蛇皮を扱う業者さん・・・それで生きている人間がいるのです。私腹を肥やすだけだったら考えて欲しいところですが、もしかしたらそれ以外では食べていけないのかもしれない。破滅してしまうと言う人も居るもかもしれません。
もしくは宗教上必要な事もあるのかもしれない。(思いついただけですが・・・)

以前、タイなどで問題になっている少年少女の売春問題について友人と話をした際に、よくカンボジアに行く友人は「無くさなければいけない問題だけど、それでしか生きていけない人も居るんだ」と言っていました。

たしかに、売春でしかご飯を食べる事が出来ない少女は世の中に大勢居ると思います。でも、失くさなければいけない。かといって、今までそういう少年少女を買っている人間が一斉に買春を辞めたら、確実に飢え死にする子達がいるのです。

そう思うと、倫理的に好ましくない行動、職業は失くす方向で動き、かつ、それらの職についていた人たちに他の仕事を提供する。という所までカバーできないと、「失くさなければ」と思うことであっても、すでに存在している現象であれば無くなりません。

うーん。また煮詰まってしまいました。すけーるが大きすぎます。

身近な問題から、現実的に徐々になくして行く、その輪を広げていく、というのが現実的に実現できる事なのでしょうか。

こうやって考えすぎると「全ての動物愛護は不可能だ」と行き着いてしまうのですが、まだ初心者。そんな時は「Deat, こげんた」の、

「ぼくはきみのゆうきになる きみはぼくのこえになる にじのはしはきっときっとできあがる」

を思い出して、あの子猫の為に微力ながら頑張ろう、と思います。

投稿者 kiyo : 11:29 PM | コメント (2) | トラックバック

March 14, 2005

ペンギンが泣いている

一体何のサイトを目指しているんだ・・・という内容になって来ましたが、こういう意識を持って生活を始めると、意外と世の中の多くの人が訴えている、という事に気付きます。今まで気付かなかった自分が情けない・・・動物愛護初心者という事で、広く知る事も大事。と「管理者がやっと気付いた動物問題」のカテゴリーで気付いた事も書きとめようかと・・・

昨日は寝る前にテレビをつけていて、二つの問題に気付きました。

ペンギンとべっ甲。

今日はペンギンです。
テレビ朝日の「素敵な宇宙船地球号」で最後の方だけ見た「ペンギンが泣いている」。

南極のアメリカ、日本、その他各国の基地の近くに、ペンギンたちが巣を作って生活しているそうです。基地の後に人間が残していったごみによって怪我をしたり命を落とすペンギン達の為、生物学者や愛護団体がごみの撤去作業をする様を移していました。

そして、地球温暖化により氷が少なくなり、ペンギンのコロニーがどんどんがけ崩れを起こしていると。丁度子育て中のペンギンは、帰巣本能というものが強いらしく、移動させてもまたもとの場所に戻ってしまう。救助活動をしている人達は、「大人のペンギンはコロニーが崩れても自力で逃げる事が出来るかもしれない。せめてヒナだけでも移動させて、他のペンギンに子育てを・・・」と、ヒナを移動させていました。ペンギンは自分の子供以外を育てるかどうかわからないそうです。

「今はこれしか出来ないの。でもこれでいいのかわからないわ。」と、女性生物学者さんが辛そうに話していました。

科学の力に頼り、人間が快適になるその裏側で、ペンギンが泣いている。犠牲になっている。

「地球温暖化問題」はもう一般的に知られ、温暖化防止の活動は盛んに行われているので私にも多少の知識はあります。でも、具体的にどのようなしわ寄せが出ているのか、こうやって見ると見ないとでは全く違います。一刻を争う緊迫感が、その番組からは伝わってきました。

食物連鎖を考えて、致し方ない殺生は仕方ないとしても、生命維持以外の目的の殺生は、間接的であっても問題視しなければいけないと実感しました。一人一人が問題視すれば、地球温暖化防止活動が広がり、泣く動物も減ってくるかもしれません。

ちょっと考えたのですが、結局動物愛護を考えると、人間が今の生活を捨てて原始時代の生活に戻るしか方法は無い、と思います。

でも、それは出来るわけが無い。だったら人間の技術を持って、ひとつひとつの問題を解決していくしかないのか、と、とてつもなく大きな問題だ・・・と少し途方に暮れました。

広く知って、身近なところで行動を。のスタンスで行きたいと思います。

投稿者 kiyo : 11:31 PM | コメント (2) | トラックバック

March 13, 2005

人工尾びれのイルカ、ジャンプ

このサイトを始めてまだ数日ですが、一言で動物問題といってもとてつもなく広い!と気付きました。
身近なペット問題・野良猫などの虐待問題・殺処分問題・国内、海外の毛皮問題・動物実験問題、その他人間の欲による殺生・・・それぞれの分野で熱心に活動されている方も大勢いらっしゃいます。

私にとって一番身近な問題は国内の動物虐待や殺処分問題、ペット事情などですが、当面は幅広く知識を得ようと思います。

重い問題ばかりなので、たまには心暖まる人間と動物のニュースも入れてみます。こういう思いやりや優しさは皆持っているので、その気持ちを広い範囲に向ければ不幸な動物も減るのでは・・・

沖縄の海洋博公園で、原因不明の病気から尾びれをなくし、飼育係さん、獣医さん、タイヤメーカーの技術者の方の懸命の努力で、人工尾びれを得たバンドウイルカの「フジ」が、初のジャンプを披露したそうです。

・・・「ジャンプできるよ」-。病気で尾びれの大半を失い、世界初の人工尾びれを装着して遊泳訓練を続けていた本部町の海洋博公園のバンドウイルカ「フジ」が12日、同公園のオキちゃん劇場で、華麗な復活ジャンプを披露した。 ジャンプするフジを一目見ようと、会場には観客約400人が詰め掛け、フジの演技一つ一つに大きな歓声を上げていた。・・・Yahoo Japanニュース(琉球新報)より

このバンドウイルカ、フジの話は以前NHK人間ドキュメントで放映していました。

本も出版されているようです。「もういちど宙(そら)へ

ひれを失くして泳がなくなってしまったイルカ、フジを思い、このままでは弱ってしまう、また他のイルカと同じ様に泳いでもらいたい、と努力する人々。

動物愛護の観点から見ると、狭いプールでイルカを泳がせておく事自体が問題なのだと思います。

でも、私は動物園や水族館の存在が悪いとは思いません。もちろん大型の動物にはストレスになって可哀想だと思いますので、もっともっと広いスペースが必要だとは思います。閉じ込めるのではなく、開放する場所が。

考え方によっては動物の自由を奪っています。でも、今、日本のこの環境では、特に都会では水族館や動物園と言う場所がないと動物の生態を見る事が出来ません。子供にとって、多くを実際に見て知って感じるという事が如何に大切か。

施設に動物を保護しないで、野生の動物や魚を見るのが一番の理想ですが・・・

出来れば、水族館や動物園は、行って「これを飼いたい」と思うのではなく、「人間以外の動物達も同じ生物だ」という事を感じる場所であって欲しい。「世界は広く、自分だけが中心ではない」「今の自分の生活は、どんな事とリンクしているのか」という事を学ぶ場所であって欲しい。と思います。

そして、いずれは閉じ込められた動物達を見て心を痛める事により、関心を持って欲しい。子供だけでなく大人も同じです。

以前水族館の飼育係さんとお話をした機会がありますが、「何だかんだ言っても、魚達は海に居るのが一番幸せなんですよ」とおっしゃっていました。その方は小さい頃から海の生き物に興味があり、水族館の飼育係になりたいと夢を叶えた方です。身近に居る人が一番わかっているのです。心を痛めないはずがありません。それでも、必要な存在だと思うから、努力していらっしゃる、とその時は感じました。

大切なのは「思いやり」です。昔のニュースで言えば、矢が刺さった鴨に日本中の人が心を痛め、多摩川で発見されたアザラシの「たまちゃん」は、皆が行く末を心配しました。

人間以外の動物を思う気持ちは多くの人が持っている。見る範囲が狭いだけ、現実を知らないだけなのだと思います。知る勇気が無い。という理由も多いと思います。私もまだその一人ですが。

何かに疑問を感じたら、きっと疑問が大きくなっていずれは自分の考えも持つようになる。そのきっかけは「知る事」。無理強いが出来ない問題だからこそ、気付いた人が、出来る事から徐々に・・・というスタンスで、そのきっかけのひとつになれたらいいと思います。

投稿者 kiyo : 09:48 PM | コメント (2) | トラックバック

March 11, 2005

「Dear, こげんた」ぼくはきみのゆうきになる きみはぼくのこえになる


ぼくはきみのゆうきになる
きみはぼくのこえになる
にじのはしはきっときっとできあがる

2002年に福岡で起きた子猫虐待ネット公開事件のことを知って、1週間が過ぎました。
3日間夢でうなされ、子猫の写真が脳裏から離れず、自分は一体どうなってしまうのだろうかと思う日々を過ごし、月並みなセリフですが「何か出来る事をしなければ」という思いで作り出したこのサイト、「MORALS OF LIFE~live with animals」も、大分形になってきました。

素人の仕事なのでまだまだ未完成ですが、これくらい出来れば人様にお見せしても良いのでは。

昨日、「Dear, こげんた」を読みました。「こげんたちゃん事件」について、ご存じ無い方はこちらから関連サイトを見てみて下さい。
私はこの事件がおきた2年半後に、この事件を知り、「Dear, こげんた」という本が出版されてから半年後に本を読みました。
遅いスタートですが、事件がおきた2年半前は、きっと自分で受け止める事が出来なかったと思います。
多くの人たちと同じ様に「かわいそうで見れない」「知りたくない」と思っていたはず。

愛猫の病気と、クリオネが気づかせてくれた「小さくても命は同じ」という事について、言葉と文字で感じていた自分の中のイメージが、こげんたちゃん事件を知ることで大きく変わりました。この2年間、徐々に自分の中で大きくなってきた疑問。それがやっと形になりました。

この事件は、私に二つの大きなことを教えてくれました。

・現実を知ることがどんな意味を持つか

今まで、犬や猫は大好きで、ニュースやテレビで可愛そうな動物の事なんか胸が痛んで見られませんでした。私は、うちの猫がご飯を一杯食べて、安心しきって寝ている時にも、飼い主に捨てられて処分される犬猫がいることを、ペットショップで長い間小さなケージに入れられたまま売れ残った動物がどうなるのかという事を、耳にしていました。でも、それ以上に知ろうとしなかった。

「うちの子が幸せであればそれでいい」「どうせそう簡単に変えられない」という思いがありました。正直言うと。

今回、私がもし、こげんたちゃん事件を、公に公表される程度の概要のニュースか、サイトの短い文章でしか知らなかったとしたら、私は今までどおりだったでしょう。恐らく2002年当時も、ニュースでは聞いていたはずです。記憶にはおぼろげですが、残っていました。でも、その程度だった。

実際にDear,こげんたのサイトから詳細を知り、リンク先をたどって、写真を見ました。
虐殺される前の、バスタブの中で半分以上たいらげた猫缶を前に、犯人を見上げる無垢な目をした可愛い子猫。まだ生後半年ほどでしょうか。

そして、今までの自分だったら絶対に見ようとしなかった、実際に犯人が虐待をした写真。3枚ありました。信じられませんでした。これが作り物だったら、と願いましたが、でも現実の写真。今まで生きてきた中で、一番大きな衝撃を受けました。精神がバランスを崩しそうになりました。普段図太い私ですが、それでも一時期は崩れたと思います。

この事件が、たった1匹の猫が殺されたと言う事件が、これほどまでに、何万人もの人の心を動かし、実際に行動を起こさせたのは、この写真の存在が大きいと思うのです。

特に一枚目の、この、普通のかわいらしい猫の写真。普通だったらこの後、おなか一杯ご飯を食べて幸せそうに丸くなって寝るはずです。それが、目を背けざるを得ない程の、残酷な事をされた姿に。この子に対する感情は、本当に言葉に出来ません。色々な感情が複雑に絡まります。

4時間もさぞ辛かっただろう、と、写真で想像が出来てしまうのです。言葉や文字だけの情報の、何百倍も重い現実を知るのです。

一般の報道だけでは真実は知り得ない。イラク戦争の頃から感じていました。でも、事実がこんなに衝撃的で重いものだとは、知りませんでした。

この写真が、何万人もの人の心を動かしたのです。逆を言うと、普段ニュースや新聞で知ることが出来る事件も、事実を知ればこれほど重い事なのです。

「事実」を知ることが如何に大事か。知らない事は罪ではないけれども、知って気づかない振りをするのは、罪に加担する事にもなる、という事を知りました。


・一人の力が集まれば大きな力になる

この本は、一人一人がこげんたちゃん事件から何かを感じ、じっとしていられずに立ち上がり、それが大きな力となった経緯が書いてあります。

感じたことは皆同じ。でも一人で何が出来るのか。「一人でやったって、何にもならないじゃない」。良く聞く意見です。無駄な努力に終わる事も多々あると思います。

でも、信念を持って立ち上がれば、賛同する人たちが集まり、大きな力になる。

「Dear, こげんた」を立ち上げたmimiさん、事件を知って警察へ通報した方々、皆が必死に「何か出来ないか」と思い、その力がひとつになって、動物虐待事件では異例の有罪判決。

出来れば私もその時に加わりたかった。でも、知った今から、出来る事をする事がこの子猫が存在した意味となる。逆に何もしなければ、私はこの子を見殺しにしたも同然だと思います。

以前アロマセラピー時代の恩師と話していた時、その先生は
「命をかけて信念を貫く人が歴史を変えてきたのよ。私達はそこまでの信念は持てないかもしれないけど、歴史を動かす歯車にはなれるのよ」と言っていました。この事件は、この言葉が現実に有り得る事なのだと、教えてくれました。

「Dear, こげんた」に載っていた詩。

ぼくはきみのゆうきになる
きみはぼくのこえになる
にじのはしはきっときっとできあがる

この文章が頭から離れません。

確かにこげんたちゃんは私に、2年間心に引っかかりながらも出来なかった「まずはサイトを作って行動を起こす」という勇気をくれた。

私はもう死んでしまった、物をいえなかったこの子猫の声になる事が出来る。

そうすれば、もうこげんたちゃんのような辛い思いをする罪の無い命を、失くす事が出来るのかもしれない。

私はこの子猫の声になりたい。と思います。

まだまだ「まずは現実を知る」段階ですが、目を背けずに行動したいです。

投稿者 kiyo : 10:34 PM | コメント (4) | トラックバック

March 10, 2005

映画/DEEP BLUE

去年の夏に観た映画です。5月にDVDが発売されます。
DEEP BLUE

動物を飼っている人、興味を持っている人にはぜひ見ていただきたい映画です。

私はこの映画を見て、人生観、ものの考え方が大きく変わりました。このサイトのきっかけのひとつでもあります。

まず音楽と映像。サイトの広告動画を見るだけで伝わると思いますが、スケールの大きさには圧倒されます。綺麗なだけではなく、弱肉強食の残酷なシーンもあります。思わず目をそむけてしまいましたが、それも現実。

地上より面積の大きい海、地上よりも何倍も多くの生物が共存しているのです。普段陸地で、都市で生活している私は、日々の生活で自然を感じる事が特に少ないので、人よりも気付くのが遅かったのかもしれません。地球の生物は人間、哺乳類だけではないという事を。存在は知っていても、自分とリンクしている、共存しているとは考えていなかったです。

人間の罪もひしひしと感じました。同じ地球上の生物として。他の動物の命を軽々しく扱う資格は無い。

そして何より一番感じたのは、野生の生物は皆いつ食べられるか、という危険にさらされる。その危険性が基本的には無い現代の人間は、精神的な苦悩があるのが自然、というか当然のことなんだろうなあ、と感じました。心の病が増えるのは当然の自然の真理と言ってもいいのかも。自然に逆らった代償かもしれません。

映画の初めにもあるのですが、地球の表面積の約70%を占める海。その海の世界に比べたら人間の世界なんて狭いものです。世界に視野を広げるどころか、海にまで視野を広げないといけません。

自分は生命体としてひとつだけでは誕生もしていないし、生きていけない。両親から生まれ、他の生物を食料として生きています。そうやって生きているならそれこそ自分の事だけを考えて生活していてはいけないと思いました。関わらなければ生きていけない人間の事も、生活環境のことも、食料にしている生物の事も、それ以外の生物や自然の事も、全てに感謝の気持ちを持って生きていくのがまっとうな生き方なのだろう、とまで思ってしまいました。

なかなか出来ないんですけど。それが・・・

ダイビングが趣味の友人とこの映画の話をしたところ、この映画は「大感動」するか、「好きじゃない」のどちらかに大きく分かれるそうです。

私は、人生を変えた映画とも言えます。

投稿者 kiyo : 10:50 PM | コメント (0) | トラックバック

「Deep Love特別編 パオの物語」Yoshi


大分前に読んだ本です。
ベストセラーになり、ドラマ化、映画化もされた「Deep Love」シリーズです。

ペットを飼っている人にはぜひ、読んでいただきたい一冊です。

最初は「読めない・・・」と思っていました。でも、Deep Loveを読んだ後、この犬の特別編があると知り、愛猫ぽよんちょの病気も落ち着き、そろそろ処分される犬猫の実態を知らなくては・・・と思って、読みました。

最初から最後まで泣き通しでした。翌日は目が腫れました。

読むのが辛い本です。でも、これを読んでよかったと心から思えます。

あらすじは、Deep Loveの主人公アユという少女が、公園で舌を切られて捨てられた犬と出会います。家に連れて帰り、パオと名付け、おばあちゃんと一生懸命世話をして、最後アユが死んでしまうときにはパオも一緒に・・・

というDeep Loveの話を、パオの視点で、パオが産まれた時からアユに出会って死ぬまでを書いた本です。

母や兄弟と別れ別れになり、アユに出会うまでの人との別れ、辛い経験などが「僕は・・・」という語り口調で書かれています。

虐待されるシーンもありますが、パオの飼い主になった人間がパオを手放さなければならなくなる理由。読んでいても実際にある事だと思えますし、どうしても捨てたくないのに、でも他に選択肢が無い。という飼い主の辛さもよく表現されています。

動物愛護センターで処分される犬猫の実態も、作者が実際に見学に行かれたそうでリアルに書かれています。決して安楽死ではない処分方法。

・・・「年間21万匹」・・・その数字を聞いただけで背筋が凍る思いがしました。・・・

作者の後書きです。
詳しい統計はまだ調べていませんが、この作者の後書きは2003年6月時点のものです。劇的に減っているとは思えません。

Facing to Realityというサイトによると、

犬の引き取り理由
1 子犬の処置に困った 52%
2 世話ができなくなった 37%

猫の引き取り理由
1 子猫の処置に困った 57%
2 世話ができなくなった 24%

犬の取り扱い件数
捕 3195
引き取り 686
他施設からの移送 7965
その他 116
返還 149
譲渡(希望者) 202
処分頭数 11488

猫の取り扱い件数
引き取り 1206
負傷猫収容頭数 147
他施設からの移送 10532
その他 1
返還 2
譲渡(希望者) 36
処分頭数 11848

これは千葉の動物愛護センターのデータらしいですが、保護ではなくて、引取りの件数の多さに愕然としました。

以前書いた獣医野村潤一郎さんの言葉。

「生き物を飼う事とは、自分の命を削って与える事である」

ここまでの覚悟を持ってペットを飼い始める人が国内にどれだけいるでしょうか。たとえ長年ペットを飼っていても、たまたま健康で手のかからない子だったら、責任の重大さに気付かないかも知れない。可愛い部分だけを感じて育てる事が出来れば、「命を削って与えなければいけない」程の責任は感じる事が出来ないかもしれない。

その感覚も、人によってそれぞれだと思います。

生命の問題はとても難しい。日本人は義務教育で同じ道徳を学んでいるはずなのに、どうして動物問題となるとこれほど考えが異なるのでしょうか。

私もつい最近まで能天気で無知な猫好きでしたので、大きな事は言えませんが。

一言で動物愛護、と言っても、あまりにも大きな難しい問題なのかも、と、少し調べ始めて実感しています。

時間をかけて調べて、出来る事を考えます。

投稿者 kiyo : 12:20 AM | コメント (0) | トラックバック

March 08, 2005

このサイトについて(最初にお読み下さい)

・犬や猫を飼っていて、家族のように一緒に暮らしている。
・犬や猫の病気や習性はそれなりに勉強もしている。
・うちの子達が快適に暮らす為の努力は惜しんでいないつもりだ。
・こんなに可愛い動物の虐待のニュースなんて、可哀想で見る事が出来ない。
・罪の無い動物を虐待する人間なんて信じられない。許せない。
・ペットショップに行くと犬猫を皆連れて帰りたくなる。でも「早く優しい飼い主さんが見つかるといいね」としか言えない。
・でもベジタリアンではない。
・革のバッグやコート、毛皮の付いた服やバッグを持っていて使っている。

・・・私はアメショ2匹の飼い主です。つい最近まで上記の様に生活していました。

2年前、愛猫ぽよんちょが突然の痙攣発作を起こしました。病名は猫伝染性腹膜炎(FIP)。ドライタイプの発症。ウィルスが脳を侵したと言う最悪の状態でした。

安楽死を薦められましたが、獣医さんのお力で、数ヶ月の闘病生活を経て、薬の服用だけで今も元気に暮らしています。

その際にネットで猫の病気について調べました。思いがけずたどり着いた動物問題のサイトの多さに驚き、うちの子の病気が落ち着いたら、動物問題についてもサイトを立ち上げたいと心に決めていました。

2年たち、もうそろそろ、と重い腰を上げて下調べのつもりのネット検索で、思いがけない事実を知りました。

「2000年福岡:ネットでの猫虐殺事件」・・・こげんた君事件です。

そのサイトからのリンクで、他にも保健所で毎日処分される犬猫の実態、動物実験の実態、未だに続く動物虐待の実態、毛皮や動物実験の犠牲になる動物達・・・

怒りをあらわにし、少しでも悲劇を失くそうとサイトの中で、外で必死に行動している人たちの多さに驚き、共感し、自分が今まで何もしなかった事を恥じました。

サイト「Dear, こげんた」を見て、過去の事であっても、知ってしまったからには出来る事をしなければいけない。これから起こる可能性のある第2のこげんた君事件を未然に防ぐ為に、今起こっている悲劇を失くす為に何か出来る事を。

知らない事は罪ではないけれども、知って見ない振りをするのは罪なのでは。・・・という思いで、このサイトを立ち上げました。

MORALS OF LIFE・・・生命倫理

私達人間は決して偉いわけではない。地球上の生命体のひとつとして他の生物と共存しなくていいのだろうか。非常に難しい、複雑な問題だと思います。

せめて、目に見える現実の改善の為、少しずつですが、ひとつの力が大きくなる事を願いつつ、更新します。

投稿者 kiyo : 11:06 PM | コメント (2)

Here's the rest of your fur coat./これがあなたの毛皮のコートの残りです

Here's the rest of your fur coat.

2002年11月に発表された、動物愛護団体のPETA(People for the Echical Treatment fo Animals)の、毛皮反対キャンペーンのポスターです。

こちらのバージョンもあるようです。

英国の人気歌手、ソフィー・エリス・ベクスターさんがモデルになったというショッキングなポスターです。

その時の日経のニュース

これを見て何を感じるでしょうか。

つい数日前まで、私は毛皮については、自分でコートまでは買わないまでも、バッグや手袋などに付いた毛皮についてはほとんど気に留めることが出来ませんでした。

ここ数日で動物問題をネットで検索し、このようなショッキングな画像をたくさん見ました。数日は夢でうなされました。

でも、見て、知ってしまったからには考えずにはいられません。

毛皮問題についても、今後詳しく調べて出来る事を考えていこうと思います。

投稿者 kiyo : 11:06 PM | コメント (0) | トラックバック

March 07, 2005

「無知」という恥。でも知って考えない事の方が恥なのかも。

昨日動物問題を調べ始めてから、自分の無知を実感しました。

かれこれ2年前。愛猫ぽよんちょの病気を調べている時に知った動物問題を扱うサイトの多さ。見過ごせない問題だと思いつつ、今やっと現実を知って、かなり愕然としています。

自分のペットを家族のように可愛がる飼い主さん達も、私のように「外の世界で起きている話」として、気付かない振りをしている問題って多いと思います。

少なからず、愛猫の病気と言う厳しい現実を通して、動物達の厳しい現実を知る事が出来た。それが、去年の夏に映画Deep Blueを観て感じた「何か」を、自分の中で形にしつつあるように感じています。
昨日書いた「Dear,こげんた」のサイトから、以前書いた毛皮問題などを扱うサイトにたどり着きました。

ヘルプアニマルズ

つい最近から、出来るだけ革製品は買うのを控えよう。毛皮なんてもってのほか。と思うようになりましたが、今日座禅の帰りにふと今の自分はいくつの革製品を使っているか見てみました。


バッグ
財布
スケジュール帳
手袋の手首についている飾りの黒い毛皮

これだけありました。
数年前に一目ぼれして買った、思いっきりゼブラプリントの毛皮のバッグは最近使わないようにしています。

思えば、毛皮製品に「?」を始めて感じたのは、数年前に知り合いからフェンディのハラコのパーティーバッグを頂いた時。ヨーロッパ土産でした。

・・・ハラコとは、牛や羊の妊娠した母親の腹から、生まれる寸前の子供の毛皮ということである。・・・という事を後で知って、恐ろしくて使えなくなりました。

今となっては、もっと恐ろしいものが私の身の回りに沢山あります。

「無知」という恥をさらしていた自分を心底恥じました。でも、知ったからにはもう買いません。

きっとそういう事に気付いている人たちから見れば、私は相当無知で馬鹿な人間に見えた事でしょう。

上記のヘルプアニマルズというサイトは、直視できない画像もあり、知らない事の恐ろしさを感じました。毛皮は動物から剥ぐ=その動物は死んでしまう。という事だけは知っていても、その毛皮を得るまでの残酷さについては知らなかったし、裏事情も知らなかった。

そしてウール。羊から毛を刈るので、羊は死なないのだろうと、「使ってもいいもの」に自分の中でカテゴライズされていましたが、とんでもない。

毛を刈り取るまでに劣悪な飼育環境から死んでしまう羊の数、実際に刈り取る時にどうするのか、信じられない現実が書いてありました。

そして動物実験。普段目にすることも耳にすることも無い為、初めて知った現実です。私が命をかけているほど愛する化粧品も、国内大手メーカーのほとんどは動物実験を行っているそうです。

想像を絶する事ばかりです。

疑問に思いながら気付かなかった問題。身に付けている革製品は、必要なのか?実際に靴で革を使わないものを見つけるのは至難の業だと思います。せめて靴などに使う革は、食肉になった動物のものであって欲しいと願いますが。

こういう生命倫理的な問題は、宗教と同じで人によって考えが異なりますし、社会生活を円滑に過ごす為には押し付ける事は決して出来ない問題です。

しかも矛盾している私は、そして無類の肉好きの私は、知った今でもすぐに菜食主義者にはなれない。

甘い考えかもしれませんが、時間がかかりそうです。自分の中で解決できるまで。せめて野菜を多く食べるようにし、肉類は有り難く頂く事からしか出来ない私ですが、これからは「知ったからには出来る事を」を忘れずに生活したいです。

投稿者 kiyo : 10:27 PM | コメント (0) | トラックバック

March 06, 2005

「Dear,こげんた」から知るネットのちから


まだ読んでいません。今日amazonで注文しました。

2000年に福岡で起きた「こげんた事件」ってご存知でしょうか?猫闘病日記サイトを充実させようと、動物愛護問題を検索していて行き着きました。「Dear, こげんた」というサイトに。
どのような事件だったか、読んでいて思い出しました。2ちゃんねるの動物嫌いの人が集まるサイトで、子猫を虐殺する様子を4時間に渡って実況中継し、写真まで載せた松原潤という無職の27歳の男性が、良識あるサイト訪問者からの通報で逮捕されたと言う事件です。

「こげんた」と言うのは、後で付けられたその子猫の戒名だそうです。遺体は見つからなかったそうです。

猫を飼っている私は、その当時ニュースで「動物虐待」と聞いただけでその詳細は聞けず、目を逸らしていました。確かその時も「聞きたくない」という思いで詳細は知らなかった。知ってしまったら後悔しそうで。その時の自分では受け止められなかったと思います。

今日は、保健所に保護された犬猫を救うようなサイトを見ていたのです。そこにリンクが貼ってありました。

「この事件を風化させないで。動物虐待は犯罪です。」と。

このDear,こげんたの管理者の方は、当時NYでこの事件を知ったそうです。愛猫家の彼女は、その犯人がネットに載せた子猫虐待の写真を見て、ショックの大きさに眠れなくなり、夢中で数日間寝ずにサイトを立ち上げたそうです。何か出来ないか。許される事ではない。と。

すると、サイトの訪問者が一気に増え、犯人を書類送検だけで済まさずに、刑罰を、と3万人の署名も集まり、動物虐待では異例の有罪判決が下されたと言う事です。懲役6ヶ月執行猶予3年。

まずは事件の概要と、経緯を知らなければ、と、サイトを熟読しましたが、あまりにも辛かった。全てを読むのに、時間がかかりました。動悸がして、涙が出て、胃が痛くなって。

そして写真も見ました。見たら後悔するかもしれないと思いましたが、今なら2年前と違って受け入れられると思ったので。未だに脳裏にこびりついています。泣きながら息苦しくなりながら見ました。

こげんた事件を扱うサイトはいくつもありました。その中に「どうしてあの男に捕まる前に、私がこげんたと会えなかったのだろう」というコメントもあり、同調しました。犬や猫と共に暮らす人なら、同じ様に感じるでしょう。

今思うことは、知ったからには出来る事をしないといけない、という事です。昔よりは、目を逸らさずに立ち向かえる強さが出てきた気がします。

Dear,こげんたのサイトも、一人の力が集まって、大きな力になった。一人では何も出来ないけど、それが集まれば影響力が出てくる。サイトの利点はそこにあると思います。

この犯人は、今はもう社会復帰しているのかもしれません。私達と同じ電車に乗ったりしているのかもしれない。犯人に「どうしてあんな事をしたの?」と責めても意味の無い事だと思います。動物を虐待するような人間は、恐らく一生、世間一般の人と同じ様に思うことが出来ないと思います。

「何が悪いんだ?」という考えは変らない。改心できないと思います。聞く耳を持たない人、反省をしない人は、変わりません。多くの異常犯罪の犯人は同じ目をしています。どんより曇ったような。

最適なのは、罪の無い弱い存在を傷つけるような行為をする卑劣な人間を失くす事。それは不可能に近いです。どんなに住み易い、良い世の中になっても、そういう人間はいなくならないでしょう。全世界的な大改革、それも経済、道徳観念も含めて、が必要です。

だったら、そういう人間から弱い存在を守る事。それなら今からでも出来ます。

こげんたは野良猫だったようです。でも、人についてきて、与えられた餌も食べたという事は、人に慣れていたのかもしれない。

写真のひとつ、バスタブの中で猫缶を、缶の底が見えるまで食べて、何の警戒心も無く汚れの無い可愛い目で犯人を見上げるこげんたの写真。あの目を見たら、何かせずにいられません。

汚い事、悪がはびこる世の中、自分の中にも悪はありますが、あのこげんたの目のような、罪の無い綺麗なものは守らなければいけません。

さっきうちの愛猫を抱っこしました。うちの子達はもう10歳になりますが、とても軽くてか弱い存在です。子猫となれば尚更小さな弱い存在。許せません。

理由のある殺人は仕方ないとしても、罪の無い存在を傷つける行為は何があっても許せません。人間が一番偉いわけじゃない。

「動物虐待」という言葉は、今もニュースでよく耳にします。こうやっている間にも、罪の無い存在が辛い思いをしているのかもしれない。

この件は、頭の中でまとまったらまた書きます。

投稿者 kiyo : 08:36 PM | コメント (0) | トラックバック