May 11, 2005

水族館でイルカを見たいあなたへ

GWに千葉に出没し、世間を騒がせたコククジラが死んでしまいました。何も出来ないだけに可哀想、としか言えません。

以前見た映画deep blueで、鯨の親子がシャチから逃げる場面があったので、あのコククジラは親離れしていたのだろうか、と、ふと気になってコククジラの生態を調べた所、鯨、イルカ専門のサイトを発見しました。

イルカ&クジラ・アクションネットワーク

この中で、「水族館でイルカを見たいあなたへ」という言葉が。

実はつい先日、品川に新しく出来た水族館へ行って来たのです。もともと海の生物を見るのが好きなのですが、ダイビングが出来ない私は、水族館へ行くのが好きです。

ただ、その中でも哺乳類。特にシロクマ、アシカ、イルカ、シロイルカ等を見るといたたまれない気持ちになることもしばしば。

でも、先日は、久しぶりに行った水族館で、イルカショーも見て単純に「イルカ可愛い」と思っていました。

ところが、このサイトには、水族館からの要請で行われるイルカ捕獲作業の実態が書かれていました。

水族館に居るイルカを見ると、「海に居たイルカを連れてきた」という事だけはわかります。でも、その捕獲の様子がどのようなものか、そこまでは想像もした事がありませんでした。

ここに書かれている事が全てなのかと言うと、わかりません。でも、事実だという事は理解できます。

たった14頭ほどの、水族館で飼育できる健康で見た目のいいイルカを捕獲する為に、100頭近くの群れを狭いスペースに追い込み、逃げようとするイルカはそこで暴れて怪我をするものも多数いるそうです。

イルカの泳ぎ方を見るとわかりますが、物凄いスピードです。よほど広いスペースでないとストレスが溜まるでしょう。海に居れば仲間と思う存分泳いだりジャンプしたり出来るのです。

そう思うと、私もクリオネを飼育しながら日々感じる罪悪感があります。犬や猫のように人間に保護されないと生きていけない動物以外の、野生の生物は、人間が快楽の為に自由にすべきではない。としみじみ感じます。

投稿者 kiyo : 11:09 PM | コメント (0) | トラックバック

May 05, 2005

ペットパークの意義

GW前半、とある高原まで旅行してきました。自然に触れ、のんびりリフレッシュ出来ました。自然の中、ホテルの裏庭でリスがのんびり生活しているのを目にしたり。

そこで、こういう、小旅行のたびに目に触れるペットパークについて少し考えてしまいました。

実はホテルの近くに、ドッグ○○○という、犬を集めた大きなペットパークがあったのです。立ち寄るつもりは無かったのですが、近くを通りかかった際に、あまりの異臭に驚きました。

そして、ホテルまでの道、乗ったタクシーの運転手さんの「あそこのペットパークは良くないですよ。可哀想に犬達がストレス溜めてぴりぴりして逃げ出してますよ」という一言で、ペットパークの意義について考えてしまいました。

以前、まだ猫を飼っていなかった頃、私は犬や猫のペットパークは大好きでした。普段触れることの出来ない犬や猫に間近で触れ会えるのが嬉しかったのです。単純に「可愛い」と思っていました。

でも、猫を飼い始めてからは、そういう類のところに行くと、閉じ込められた犬や猫がストレスを溜めている様子を見ていられなくて、足が遠のいていました。

動物園、水族館も同じ類だとは思うのですが、考え方によっては動物園や水族館は、子供達に人間以外の生き物の存在、生態を知り、興味を持ち、生命を大切にするきっかけとなる教育の場所とも言えます。

でも、既に国内の各家庭に1匹ずつは居るのでは、と思われる、ペットとしては一般的な犬や猫のパークを、わざわざ作る必要ってあるのでしょうか。

もちろん、快適なパークもあります。私が以前千葉の館山で立ち寄った猫のパークは、とても清潔で、猫たちも見るからにストレスが無さそうに見受けられました。快適に過ごしている様子でした。

でも、動物は、閉じ込められる事は一番望まないことです。特に犬達は、こういうパーク内でストレスが溜まっているように見える事が多い気がします。

つい「かわいいー」と寄ってしまいがちですが、「立ち寄る事」が「需要」になり、パークで飼われる犬や猫を増やしてしまう要因となるのだ、と、自分の行動のひとつひとつに、責任を持たなければ、と実感しました。

生き物を商売にすること自体は、食用以外は無くして行った方がいいのでは、と感じる今日この頃です。

投稿者 kiyo : 11:49 PM | コメント (0) | トラックバック

March 21, 2005

スプートニク2号とクドリャフカ

この話も今日知りました。

1957年に旧ソ連は史上初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げました。僅か1ヶ月後の11月に、再び人工衛星「スプートニク2号」を打ち上げた。その中には犬が入っていたそうです。

「ライカ犬」と呼ばれていたそうですが、シベリアンハスキーの雑種、メス、元々野良犬だったらしいです。「生きて回収する事」はミッションに入っていなかったと・・・

この犬を「クドリャフカ」と呼び、これも多くの方が何かを感じていらっしゃるようです。このフラッシュを見たら、私も「・・・」と言葉が出ませんでした。

クドリャフカ 作者:凡様

1957年。私が産まれるずーと前の話です。昔の話だから問題視する事ではない、という意見もあるかと思いますし、私も一瞬そう思いました。今現在行われていることではない。

ただ、何十年たっても、目的は違っても、規模は違っても、未だに人間の研究の為に動物が使われているという事は事実です。

全ての動物実験類を禁止、とは、今の私達の便利な生活はその犠牲になった動物達と、研究員の方の努力の上に成り立っているので、言えません。でも、代替研究は今の技術なら出来るだろう、と素人考えですが思うのです。その方向で研究を進めていけば、動物の命を犠牲にしなくても開発が進んでいくのでは。と、何となく感じるだけなのですが。

例えば、生きている人間を人体実験はしません。献体というシステムがあります。希望した方だけ、死後に身体を大学病院などの研究に提供する、という。

犬猫にも献体のシステムがあれば、と少し思います。最も、生きている動物に対する実験が必要なのだと思うのですが、出来る限り、人間と同じように生きている生命を扱う実験はやめた方が。

献体された身体だけを実験、研究対象として、生きているものには手を出さない、というのが理想だと思いますが、動物実験の現状をまだ知らないのでなんとも言えません。

いずれにしても、このクドリャフカは、こんな目にあった意味があったのでしょうか。クドリャフカが人工衛星に乗ったことで、人間は何を得たのでしょうか。いや、意味はあったのですよね。その後に人間が宇宙に旅立ったわけですから。でもクドリャフカの件が直接その後の宇宙開発の功績になったのかどうか・・・

・・・これも宇宙開発問題に詳しくないのでまだなんとも意見できませんが。ああ、自分の知識不足がもどかしい・・・

でも、これ以上はもういいじゃないですか。今のままで十分でしょお。と思います。

投稿者 kiyo : 01:23 AM | コメント (0) | トラックバック

March 15, 2005

べっ甲もそうだった。

昨日の続きです。幅広くなってしまいましたが・・・

昨夜の夜、TBSの「世界遺産」を何気なく見ていて感じたこと。今まで私は「べっ甲細工」と聞いても、「亀の甲羅」とは知っていましたが、それが「人間の装飾の為に亀が殺される」という発想には全く繋がりませんでした。「当たり前のように身の回りにあるもの」という感覚でした。今考えると恐ろしいです。

が、このべっ甲問題は今はそれほど大問題では無いそうな。

世界遺産では、「ベリーズのバリアリーフ保護区」というタイトルで、数少ない保護区であるバリアリーフに住む海の生物を移していました。とにかく映像が綺麗で、ゆったり泳ぐウミガメやジンベイザメ、マナティ・・・その一方、ほとんどの生物は絶滅の危機にあるとのこと。

マナティは浅瀬に生息する海草を食べるため、海水汚染の影響を受けやすく、また、人間に捕獲されやすく絶滅に近くなっているそうです。

ウミガメの「タイマイ」も、かつて食用として、またべっ甲細工の材料として乱獲され、数が激減したそうです。長寿のシンボルであるウミガメも、天寿を全うするのは非常に少ないそうです。事故にあったり、人間に捕獲されたり・・・

今ではワシントン条約でタイマイは国際取引はされていないそうです。もちろん日本でも。ちょっと調べたところ、良心的なべっ甲細工の装飾品を扱うサイトでは、「べっ甲の材料となるタイマイはワシントン条約によって一切輸入できません。既にある国内在庫については問題ないので、弊社では国内在庫を使っています」と注意書きがあったりしました。

ちなみに日本では、タイマイの取引中止は留保されていたそうですが、94年7月に留保撤回となったそうです。(外務省HPより)

ただ、国際規定があるとは言え、密漁は絶えないとの事。詳細はWWFジャパンHP参照。

また、べっ甲を扱う業者さん達は、タイマイをまた材料として使いたい為に絶滅を防ぐ研究や活動、養殖の研究などもしているそうです。絶滅を防いでワシントン条約保護動物から外してもらえるように・・・とか。

・・・仕方の無い事とは思うのです。べっ甲も、毛皮も、もしかしたら三味線やワニ革、蛇皮を扱う業者さん・・・それで生きている人間がいるのです。私腹を肥やすだけだったら考えて欲しいところですが、もしかしたらそれ以外では食べていけないのかもしれない。破滅してしまうと言う人も居るもかもしれません。
もしくは宗教上必要な事もあるのかもしれない。(思いついただけですが・・・)

以前、タイなどで問題になっている少年少女の売春問題について友人と話をした際に、よくカンボジアに行く友人は「無くさなければいけない問題だけど、それでしか生きていけない人も居るんだ」と言っていました。

たしかに、売春でしかご飯を食べる事が出来ない少女は世の中に大勢居ると思います。でも、失くさなければいけない。かといって、今までそういう少年少女を買っている人間が一斉に買春を辞めたら、確実に飢え死にする子達がいるのです。

そう思うと、倫理的に好ましくない行動、職業は失くす方向で動き、かつ、それらの職についていた人たちに他の仕事を提供する。という所までカバーできないと、「失くさなければ」と思うことであっても、すでに存在している現象であれば無くなりません。

うーん。また煮詰まってしまいました。すけーるが大きすぎます。

身近な問題から、現実的に徐々になくして行く、その輪を広げていく、というのが現実的に実現できる事なのでしょうか。

こうやって考えすぎると「全ての動物愛護は不可能だ」と行き着いてしまうのですが、まだ初心者。そんな時は「Deat, こげんた」の、

「ぼくはきみのゆうきになる きみはぼくのこえになる にじのはしはきっときっとできあがる」

を思い出して、あの子猫の為に微力ながら頑張ろう、と思います。

投稿者 kiyo : 11:29 PM | コメント (2) | トラックバック

March 14, 2005

ペンギンが泣いている

一体何のサイトを目指しているんだ・・・という内容になって来ましたが、こういう意識を持って生活を始めると、意外と世の中の多くの人が訴えている、という事に気付きます。今まで気付かなかった自分が情けない・・・動物愛護初心者という事で、広く知る事も大事。と「管理者がやっと気付いた動物問題」のカテゴリーで気付いた事も書きとめようかと・・・

昨日は寝る前にテレビをつけていて、二つの問題に気付きました。

ペンギンとべっ甲。

今日はペンギンです。
テレビ朝日の「素敵な宇宙船地球号」で最後の方だけ見た「ペンギンが泣いている」。

南極のアメリカ、日本、その他各国の基地の近くに、ペンギンたちが巣を作って生活しているそうです。基地の後に人間が残していったごみによって怪我をしたり命を落とすペンギン達の為、生物学者や愛護団体がごみの撤去作業をする様を移していました。

そして、地球温暖化により氷が少なくなり、ペンギンのコロニーがどんどんがけ崩れを起こしていると。丁度子育て中のペンギンは、帰巣本能というものが強いらしく、移動させてもまたもとの場所に戻ってしまう。救助活動をしている人達は、「大人のペンギンはコロニーが崩れても自力で逃げる事が出来るかもしれない。せめてヒナだけでも移動させて、他のペンギンに子育てを・・・」と、ヒナを移動させていました。ペンギンは自分の子供以外を育てるかどうかわからないそうです。

「今はこれしか出来ないの。でもこれでいいのかわからないわ。」と、女性生物学者さんが辛そうに話していました。

科学の力に頼り、人間が快適になるその裏側で、ペンギンが泣いている。犠牲になっている。

「地球温暖化問題」はもう一般的に知られ、温暖化防止の活動は盛んに行われているので私にも多少の知識はあります。でも、具体的にどのようなしわ寄せが出ているのか、こうやって見ると見ないとでは全く違います。一刻を争う緊迫感が、その番組からは伝わってきました。

食物連鎖を考えて、致し方ない殺生は仕方ないとしても、生命維持以外の目的の殺生は、間接的であっても問題視しなければいけないと実感しました。一人一人が問題視すれば、地球温暖化防止活動が広がり、泣く動物も減ってくるかもしれません。

ちょっと考えたのですが、結局動物愛護を考えると、人間が今の生活を捨てて原始時代の生活に戻るしか方法は無い、と思います。

でも、それは出来るわけが無い。だったら人間の技術を持って、ひとつひとつの問題を解決していくしかないのか、と、とてつもなく大きな問題だ・・・と少し途方に暮れました。

広く知って、身近なところで行動を。のスタンスで行きたいと思います。

投稿者 kiyo : 11:31 PM | コメント (2) | トラックバック