メイン | 競馬の馬 »

December 29, 2003

人間は存在自体が悪とも言えるかも


昨日は八景島シーパラダイスにに行きました。そこの水族館で、なんとなくぼや~っと頭に残っていた帰り際のアシカ(アザラシかも)の悲しそうな泣き声。狭いスペースの水槽で、客の顔をじーっと見ながら泳いでいた大きなシロクマ。見ていた時は夢中になって感心しましたが、芸をするイルカやセイウチやアシカ、シロイルカ達。可愛かったし楽しかったのですが、その感情の裏で、今日になって少しやり切れない気分が出てきました。特に哺乳類に対して。

そして掲示板にダイバーの友人が書いてくれたニモの影響によるクマノミ大量捕獲。立派な意見を持つ人と友人で良かった、と思いました。彼女の言葉で「楽しさ」「興味」などの好奇心で隠れてしまっていた事に気付きました。

私は動物園やペットショップに行くと「可愛い」と思いながらも心が痛みます。でも水族館は今までそんな事は無かった。クリオネやクラゲや蛇が大好きなので。でもやっぱり哺乳類に対しては見ていて心が痛むものが在りました。これは猫を飼っているから哺乳類には弱い。魚は身近ではないので心が痛まない。という事だと思いますが。動物虐待のニュースなどはチャンネルを変えてしまいます。見ていられなくて。

でも昨日のシーパラにも哺乳類はいました。ホッキョクグマやトドやセイウチやラッコ、、、大きな哺乳類が小さなスペースにいるのは、思い出すとしのび難いものがあります。でも昨日はそれよりも楽しさが先行していましたが。

たまたま今日、NHK教育で「アジアの子供たち」という番組があったので見ようと思っていたのですが、間違えてNHKをつけていました。そこでこの番組を放送していたのです。

大自然スペシャル 動物カメラマン野生へのまなざし
  - 氷原の王者・ホッキョクグマに迫る~岩合光昭 -  
世界の名だたる動物カメラマンたちが自らの最も得意なフィールドやテーマを選び、ハイビジョンカメラで撮影に挑む「動物カメラマン・野生へのまなざし」は、夏に3本放送して好評を得た。今回はアンコールの声にこたえて、そのうち2本を放送する。
カナダ北東部・ハドソン湾を舞台に、岩合光昭カメラマンがホッキョクグマに至近距離から迫る。巣穴から出てくる赤ちゃんグマや、花畑にやってくるクマなど、ホッキョクグマの素顔を明らかにする。


花畑でのんびりするホッキョクグマ

この自然に生きるホッキョクグマの表情と、昨日のシーパラに居たホッキョクグマの表情を比べてみると、動物は例え他の動物に殺されたり、自然に淘汰されても、自然の中で自然なまま生きるべきだ。と感じました。あたり前のことなのですが。

ある意味では動物園なども子供に動物の存在、生態を教える為には必要のかもしれない。食料にするという意味では、他の肉食獣も同じ。でも、人間は命を商売にする。

前にも書いたかもしれませんが以前TVで、動物園から年をとった動物や病気になった動物を引き取って世話をする個人経営の動物園の取材をしていました。「人間が楽しんだツケが全部ここに集まってくるんですよ」と経営者が訴えていたのと、司会者が「動物の生態だけでなく、死までをしっかりと子供に教える社会にしていきたいですね」と言っていたのが印象に残っています。

食料と言う意味で考えてしまうと、私もニモを見た後では「暫くお魚は食べられない。。。」と思いつつも二日後の忘年会では鯛を美味しく頂いてしまいましたし、今朝も「豚舎全焼で豚100匹焼死!」というニュースを聞いて「可愛そうに。。。」と思っても豚肉大好きです。牛肉はもっと好きです。明日も焼肉に行く予定です。鳥も大好き。魚はあまり好きではないですが、お刺身は大好きです。

考え抜くと、少し感じた忍びなさをとことん突き詰めるとベジタリアンにならざるを得ないと思いますが、私にはそれは無理です。「人間の勝手だ」とわかりつつも、美味しく頂いてしまいます。

他の肉食獣は、本能で他の動物を食べる。味で選んでいるわけではないし、自分が生きるために必要な分だけの殺生をする。人間は自分達の生命維持のためだけでなく、欲の為に殺生をする。他の命を商売にする。知能があるからこその行為ですが、それこそが人間の生まれ持った最大の「悪」ではないかと感じました。高い知能を持った人間故の傲慢さ。

地球上で、一番汚れの無い生命は植物なのでは、とも思いました。殺生をする事なく生きる。

こういう話になると宗教話に繋がると思いますし、いろんな考え方があると思うのですが、こんな考え方はどうでしょう。

他の生物は高い知能、感情を持たない為(例外は居ますが)、死の恐怖以外に「嫌な感情」は持たない。落ち込む事も悲しむ事も無い。本能のままに行き、子孫を残す。

人間は知能、感情がある為、他の生物よりも「喜び」「楽しみ」があるが、他の生物が感じない様な「悲しみ」「苦しみ」も感じてしまう。欲の為に楽しんだ分、苦しさも伴うのが人間の性。罪深い人間に苦しみは必要だ。と。

結局「人にした事は自分に帰る」は、「人」に対してだけではなく、「物事、生物、全て」に対してが正しいと思います。

きっと動物虐待をした人は生まれ変わったときに苛められる事になる、とか。

大袈裟な話になってしまいましたが、私自身も問題意識を持ちつつも曖昧。肉食は続けるし、水族館にも行くし、子供が出来たら動物園にも行くと思います。犬や猫も飼うかもしれない。どこで自分の中で折り合いをつけるか、という事なのでしょうか。

投稿者 kiyo : December 29, 2003 08:55 PM

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://bunny-grant.net/cgi/mt/mt-tb.cgi/48

コメント

コメントしてください




保存しますか?