March 11, 2005

「Dear, こげんた」ぼくはきみのゆうきになる きみはぼくのこえになる


ぼくはきみのゆうきになる
きみはぼくのこえになる
にじのはしはきっときっとできあがる

2002年に福岡で起きた子猫虐待ネット公開事件のことを知って、1週間が過ぎました。
3日間夢でうなされ、子猫の写真が脳裏から離れず、自分は一体どうなってしまうのだろうかと思う日々を過ごし、月並みなセリフですが「何か出来る事をしなければ」という思いで作り出したこのサイト、「MORALS OF LIFE~live with animals」も、大分形になってきました。

素人の仕事なのでまだまだ未完成ですが、これくらい出来れば人様にお見せしても良いのでは。

昨日、「Dear, こげんた」を読みました。「こげんたちゃん事件」について、ご存じ無い方はこちらから関連サイトを見てみて下さい。
私はこの事件がおきた2年半後に、この事件を知り、「Dear, こげんた」という本が出版されてから半年後に本を読みました。
遅いスタートですが、事件がおきた2年半前は、きっと自分で受け止める事が出来なかったと思います。
多くの人たちと同じ様に「かわいそうで見れない」「知りたくない」と思っていたはず。

愛猫の病気と、クリオネが気づかせてくれた「小さくても命は同じ」という事について、言葉と文字で感じていた自分の中のイメージが、こげんたちゃん事件を知ることで大きく変わりました。この2年間、徐々に自分の中で大きくなってきた疑問。それがやっと形になりました。

この事件は、私に二つの大きなことを教えてくれました。

・現実を知ることがどんな意味を持つか

今まで、犬や猫は大好きで、ニュースやテレビで可愛そうな動物の事なんか胸が痛んで見られませんでした。私は、うちの猫がご飯を一杯食べて、安心しきって寝ている時にも、飼い主に捨てられて処分される犬猫がいることを、ペットショップで長い間小さなケージに入れられたまま売れ残った動物がどうなるのかという事を、耳にしていました。でも、それ以上に知ろうとしなかった。

「うちの子が幸せであればそれでいい」「どうせそう簡単に変えられない」という思いがありました。正直言うと。

今回、私がもし、こげんたちゃん事件を、公に公表される程度の概要のニュースか、サイトの短い文章でしか知らなかったとしたら、私は今までどおりだったでしょう。恐らく2002年当時も、ニュースでは聞いていたはずです。記憶にはおぼろげですが、残っていました。でも、その程度だった。

実際にDear,こげんたのサイトから詳細を知り、リンク先をたどって、写真を見ました。
虐殺される前の、バスタブの中で半分以上たいらげた猫缶を前に、犯人を見上げる無垢な目をした可愛い子猫。まだ生後半年ほどでしょうか。

そして、今までの自分だったら絶対に見ようとしなかった、実際に犯人が虐待をした写真。3枚ありました。信じられませんでした。これが作り物だったら、と願いましたが、でも現実の写真。今まで生きてきた中で、一番大きな衝撃を受けました。精神がバランスを崩しそうになりました。普段図太い私ですが、それでも一時期は崩れたと思います。

この事件が、たった1匹の猫が殺されたと言う事件が、これほどまでに、何万人もの人の心を動かし、実際に行動を起こさせたのは、この写真の存在が大きいと思うのです。

特に一枚目の、この、普通のかわいらしい猫の写真。普通だったらこの後、おなか一杯ご飯を食べて幸せそうに丸くなって寝るはずです。それが、目を背けざるを得ない程の、残酷な事をされた姿に。この子に対する感情は、本当に言葉に出来ません。色々な感情が複雑に絡まります。

4時間もさぞ辛かっただろう、と、写真で想像が出来てしまうのです。言葉や文字だけの情報の、何百倍も重い現実を知るのです。

一般の報道だけでは真実は知り得ない。イラク戦争の頃から感じていました。でも、事実がこんなに衝撃的で重いものだとは、知りませんでした。

この写真が、何万人もの人の心を動かしたのです。逆を言うと、普段ニュースや新聞で知ることが出来る事件も、事実を知ればこれほど重い事なのです。

「事実」を知ることが如何に大事か。知らない事は罪ではないけれども、知って気づかない振りをするのは、罪に加担する事にもなる、という事を知りました。


・一人の力が集まれば大きな力になる

この本は、一人一人がこげんたちゃん事件から何かを感じ、じっとしていられずに立ち上がり、それが大きな力となった経緯が書いてあります。

感じたことは皆同じ。でも一人で何が出来るのか。「一人でやったって、何にもならないじゃない」。良く聞く意見です。無駄な努力に終わる事も多々あると思います。

でも、信念を持って立ち上がれば、賛同する人たちが集まり、大きな力になる。

「Dear, こげんた」を立ち上げたmimiさん、事件を知って警察へ通報した方々、皆が必死に「何か出来ないか」と思い、その力がひとつになって、動物虐待事件では異例の有罪判決。

出来れば私もその時に加わりたかった。でも、知った今から、出来る事をする事がこの子猫が存在した意味となる。逆に何もしなければ、私はこの子を見殺しにしたも同然だと思います。

以前アロマセラピー時代の恩師と話していた時、その先生は
「命をかけて信念を貫く人が歴史を変えてきたのよ。私達はそこまでの信念は持てないかもしれないけど、歴史を動かす歯車にはなれるのよ」と言っていました。この事件は、この言葉が現実に有り得る事なのだと、教えてくれました。

「Dear, こげんた」に載っていた詩。

ぼくはきみのゆうきになる
きみはぼくのこえになる
にじのはしはきっときっとできあがる

この文章が頭から離れません。

確かにこげんたちゃんは私に、2年間心に引っかかりながらも出来なかった「まずはサイトを作って行動を起こす」という勇気をくれた。

私はもう死んでしまった、物をいえなかったこの子猫の声になる事が出来る。

そうすれば、もうこげんたちゃんのような辛い思いをする罪の無い命を、失くす事が出来るのかもしれない。

私はこの子猫の声になりたい。と思います。

まだまだ「まずは現実を知る」段階ですが、目を背けずに行動したいです。

投稿者 kiyo : 10:34 PM | コメント (4) | トラックバック